ドンと大きく絵柄を配したデザインを
現代日本を代表する画家である横尾忠則さんのキャリアの始まりはグラフィックデザイナーとしての活動だ。1960~70年代にかけて、唐十郎や寺山修司らの舞台芸術ポスターを数多く手がけ、一世を風靡した。
ところが1980年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のピカソの回顧展の会場で声なき声に洗脳されて「画家に転向」。以来、絵画制作に打ち込んできた。滝などの風景画やY字路を描くシリーズ、アーティストの肖像画など多彩な作風で人気を博す。
「TADANORI YOKOO」(カルティエ現代美術財団・2006年)など国内外での個展は多数で、2012年には兵庫県神戸市に横尾忠則現代美術館がオープンしている。
文筆活動も旺盛で、現在は週刊新潮にてコラム「曖昧礼讃ときどきドンマイ」を連載中。連載をまとめた新書『運命まかせ』も刊行されたばかりだ。
「新潮QUE」オープン記念に年間契約者向けの特製ノベルティとして、オリジナルのトートバッグをつくるとなったとき、編集部がぜひに、とお願いしたのは、横尾忠則さんだった。
担当編集者を通して「トートバッグをいっしょにつくってくださいませんか」とオファーすると、すぐに快諾いただいた。バッグの絵柄に使用する作品も、未発表のものをご本人みずからセレクトしてくださるという。
使用する未発表作品はさっそく決まり、2026年初頭からトートバッグの制作は始まった。何種類ものデザイン案がつくられたところで、いざ横尾さんのチェックを受けようと、春の足音が聞こえてきた3月のある昼下がり、世田谷区にあるアトリエを訪問した。
横尾さんのアトリエは1986年に建てられた。磯崎新さんによる建築だ。その様子をご本人の文章から引用してみよう。
「成城の高台に建つスレートで囲まれたカマボコ型のポストモダン様式で、白い壁とドアその他は黄色で、色彩計画は横尾です。南向きで地上一階にバルコニーが突き出して、遠方には富士山がかなり大きく見えたのですが、隣の要塞(ようさい)のようなコンクリート造りの家の裏庭の樹木が繁茂した時は富士山は視界から消滅することがあります」(2022年03月05日掲載AERAデジタルより)
現在アトリエは改装中。訪問したときには高台の約100坪の土地いっぱいに建つアトリエの周囲に足場が組まれていた。編集部一行は中へ招き入れていただき、1階のバルコニーそばにあるテーブルの上に型紙化したデザイン案の数々を広げ、さっそく見ていただくことに。アトリエの中は制作途中の作品であふれかえり、ふと目を外に向ければ、富士山こそ見えなかったものの、世田谷の家並みが広がっていた。
一瞬の静寂。横尾さんはデザイン全体を見渡したあと、ドンと大きく絵柄を配したデザインを指して、
「これでしょう」
と、ひとこと。即決だった。
「『なるようになる』の精神でやってきました」
選ばれたのは、数ある案のなかで最もシンプルで、絵柄がはっきりと見えて、インパクトも大きいものだった。
すべてにおいて話が早い―― 。これは横尾さんのいつもの流儀だ。
週刊新潮の連載では、原稿の上がりがとにかく早い。続々と書き上げられるので、現在は数ヶ月分のストックがある状態だ。絵を描くのも驚異的に早い。2023年に東京国立博物館 表慶館で開催された個展「横尾忠則 寒山百得」展の作品制作時には、100号の大作を1日に3枚仕上げたこともある。
日常生活においても、自他ともに認める「せっかち」である。なぜかくもあらゆることが「早い」のか。
「すべては直感で決めていくのがいいと思っているからです。小細工なんてものも、できるだけしないほうがいい。それよりも気分のほうが優先、考えないから早いのです。そもそも考えて考えてつくったものは、絵に限らずそこに悩みが生じます。よけいな問題も呼び寄せてしまいます。それじゃいけません。いかに考えないでいられるか、できるだけ『考えない生き方』をしていこうとするのが大事です」
現代社会の常識としては、「論理立てて考えを尽くせ、ファクトを示せ」といった声が力を持っているものだが……。