「もし、もし。大丈夫でしょうか。焼酎を召し上っているのですけど。」
敗戦直後の日本の上流階級を描いた、太宰治の『斜陽』(1947年)にこんなせりふがある。弟が南方から復員したため、姉(主人公)は村で一軒だけの宿屋に「お酒」を分けてもらいにいくが、在庫がない。
やさぐれた弟は納得せず、「交渉が下手だからそうなんだ」と言い放ち、自ら宿屋に乗り込む。そのおかみがわざわざ家まで飛んできて、眼を「強く見はって、一大事のように、低い声で言う」のだから、相当だ。血相を変えて、というやつである。
とはいえ姉が訊き返すとおり、幸いにも「メチル」ではない。燃料用の有毒アルコールであるメチルを、当時は物不足から飲用に転ずる例が多く、失明など深刻な被害を出していた。弟はそうではなく、宿に残る焼酎を注文したというだけだ。
このシーンの意味が、長いことわからなかった。別に、焼酎くらい飲んでもええやん。日本酒がないんだから。
そうなるにも理由がある。1998年に大学に入ったぼくの場合、つきあいのコンパではなく自分で店を選んで飲む癖がつくのは、2001年ごろ。ちょうど芋焼酎ブームと呼ばれて、焼酎が「キラキラ」したお酒になった時期だった。