短大がなくなる意味
少子化の影響で、「大学の募集停止」が話題になる機会が増えました。その中でも短大を取り巻く環境は厳しく、全国で292校あるうちの9割近くが定員割れ状態で、ここ1年ほどでも20以上の短大が募集停止などを発表しています。
いわゆる“短大離れ”の詳細な理由は後述するとして、ぜひ注目いただきたいのは、地方の短大がなくなることの甚大な影響です。
保育士や介護福祉士などのいわゆるエッセンシャルワーカーを社会に送り出してきた短大が減れば、その担い手の減少につながりかねないことは想像に難くないでしょう。
しかし問題はそういった“表面上の話”にとどまりません。
たとえば、2026年度以降の募集を停止した釧路短期大学。かつて北海道全体で30以上あった短大は半減していて、現在釧路市内にあるのは釧路短大1校だけです。その1校が、今まさになくなろうとしている。
もう少し具体的な話をしましょう。釧路・根室地方で保育士の資格をとれる学校は、釧路短大と「くしろせんもん学校」の2校のみ。その片方がなくなってしまったら、地元の保育の担い手はどうなるのでしょうか。市外からカバーするといっても、たとえば札幌と釧路は300キロ以上離れています。遠方から釧路まで働きに出ようと思ってくれる人がどれだけいるでしょうか。
こうした地域の場合、「短大が減る」=「学校数が減る」という問題だけではなく、その短大が養成してきた人材が活躍する保育園や幼稚園、介護施設、病院といった「社会インフラ」にまで大きなダメージを与えかねないということなのです。
もちろん、首都圏で閉学する短大が増えることも大変残念なことではありますが、このような“替えの効かない地域”でなくなる1校は、地域社会に与える影響が計り知れない。これが、「短大消滅」の本質的な社会的影響です。そして今、それが実際に現実のものとなりつつある。
生徒が専門学校に流れる面も
そもそも短大とは、学校教育法上で「大学」に位置付けられますが、修業年数が2~3年、また職業教育や実際生活に関する教育を行うことを目的としている点で、四年制大学とは目的が区分されています。一般企業への就職者も多いですが、保育や幼児教育、看護、介護領域をはじめとした、国家資格を要する専門職への就職者が6割以上を占めています。
入学者の大半が女性であるイメージをもたれる方も多いかもしれませんが、昨今の女性比率は約85%。全体の入学者数が減ってきている一方、男性に支持されている工学系の学科の充足率はそれほど落ちていないこともあり、相対的に男性比率が少し高まった事情があります。
とはいえ、歴史的に女性の高等教育の担い手としての役割を果たしてきた面は大きい。こうした中、少子化だけでなく、女性の四年制大学志向が高まったという社会事情も、短大志望者が減っている背景にあります。
加えて、高等教育機関に対する国の支援の要件が厳格化傾向にあり、2024年度からは定員充足率が「3年連続8割未満」の場合は原則として対象から外されることになったことも、一つの転機にはなったと思います。
特に四年制大学に併設される短大の場合は、現時点でそこまで危機的な状況ではなくとも、中長期的な視点で四年制大学に集約してしまうというのは、ある意味合理的な経営判断といえるのでしょう。
したがって先述の通り、一口に「また募集停止する短大が出た」といっても、首都圏の四年制大学が併設する短大を募集停止するという“経営判断”を行うのと、地域そのものを支えている短大がなくなるのとでは、その意味も影響も全く異なるということです。
短大はよく専門学校とも比較されますが、授与されるのが「専門士」または「高度専門士」といった“称号”である専門学校と違い、短大は「短期大学士」という学位規則上の“学位”が授与されます。
また、短大は四年制大学と同じく定員に応じた教員数、校地面積、図書館、グラウンドなどの設置基準が詳細に定められています。
それゆえ学びの環境が法的に担保されているというメリットがある一方で、専門学校のように、都心の駅チカのビルに設置することはなかなか難しい。全体で292校ある短大のうち、東京23区や政令指定都市に位置しているのは35%程度で、それ以外の都市にある短大が大半を占めています。
こうした立地の面で、専門学校を選択する人が増えた部分はあると思います。今は専門学校で「高度専門士」を取得すれば、大学卒業者と同等とみなされ、大学院の修士課程へ進学することも可能になっています。専門学校が魅力に映りやすい状況は、短大にとっては向かい風といえるでしょうか。
支援の“死角”
いくら短大から専門学校に人が流れても、社会全体で見れば、そう大きな問題ではないという見方もできるかもしれません。「保育士になる“ルート”が変わるだけでしょう」と。