「補欠1番」と言われて
懐かしいですね。中学受験は子供ながらにいろいろ大変で、また、印象深い体験でもありました。私は宮城県の仙台に生まれ、一人っ子でした。小学校に上がる前、45~46年前ですか。仙台の大学の研究者だった父が、医者を目指すということで、都内の大学の医学部を受験するんです。それに受かり、家族3人で東京に引っ越すことになりました。父は医学生をやりながら、家族の生活費を予備校の講師で稼ぐという状況でしたので、上京した最初の自宅は風呂なし、シャワーなしのアパート。かつかつの生活でしたね。
それでも教育にはお金をかけてくれまして、捻出した資金で、私は武蔵野市の私立聖徳学園小学校に通うことになります。聖徳学園はほとんどの児童が中学受験をする学校で、私も「そうするものなんだ」といった感じで毎日を送っていました。親に「中学を受けなさい」などと言われて従ったのではなく、自分の意志というか、受験はごく自然な流れでしたね。
目標にしたのは、御三家のうち、桜蔭中学校(東京都文京区)と女子学院中学校(千代田区)です。ラッキーだったのは、私が受験した年(1987年)が、サンデーショックにあたったことでした。
サンデーショックとは、東京都と神奈川県にある中学受験の解禁日2月1日が「日曜日」になることを指します。御三家はそろって2月1日が試験日となるのが通例で、本来はどこか一つしか受けられません。ただ、サンデーショックの年にあたると、キリスト教系の私立中学は、日曜日に礼拝を行うことから、試験日を1日遅らせる。つまり、翌日の2日月曜日にずらすわけです。
私の年は、女子学院の入試日が2日にずれたため、桜蔭と女子学院の二つを受けることができました。伝統的な紺の制服でキリッとした女子が集まるイメージの桜蔭、私服で割と自由な校風で活発に楽しむ女子学院。どっちも受けられるのはいいな、と子供心に思ったものです。