社会

高市早苗批判者が「オオカミ少年」になってしまう根本的な理由

2026年7月2日


<span>高市早苗批判者が「オオカミ少年」になってしまう根本的な理由</span>

 平和主義者も博愛主義者もネット上では好戦的な戦士となる。結果、不毛な荒れ地が拡大していく。そんな光景はもはや見慣れたものとなっている。この状況を変えるため、いや自らがそこに加担しないためには何を心がけるべきなのか。これはネットに限った話ではない。ビジネスシーンにおいても重要なポイントだ。ライター・梶原麻衣子氏の説く「ちゃんとした批判」をするための要点とは――。

事実と時系列を把握せよ

 批判とは、単にすればいいというものではない。批判すべき部分を的確に、寸鉄人を刺すがごとき鋭さで突くことが求められる。だがSNSの隆盛による影響か、そうした鋭い批判、批判対象に肩入れしていたとしても思わずうなってしまうような批判は、相対的に少なくなっているように思う。

 「ちゃんとした批判」をするために何が必要なのか、自戒や自省・自制を込めて真摯に検討してみたい。

 まずは最低限、やらなければならないのが「事実関係と時系列の把握」である。

 SNSの議論などでは出元がどこなのか、発端は何であるのか、どのような経緯で議論の対象となったのかを追うのが難しい。これはやむを得ない面もあるが、そうでない場合でも、悪意なく事実関係や時系列を歪めたり、自説に合うように因果関係のスタート地点を決めたうえで是非を論じているものも少なくない。

 最近の例で言えば、巨人軍監督だった阿部慎之助氏が娘に暴力を振るったという容疑で逮捕(その後釈放)となった事件。阿部氏は巨人の監督を辞任するに至ったが、この事件を論じる場合に「そもそも娘がAIに聞いて児童相談所に相談しなければよかったのではないか」と口にしている(SNSに書き込んでいる)人は少なくない。

しかしそもそも論で言えば、発端は阿部氏が娘に何らかの身体的圧力を加えたことにあり、この点を措いて事件について語ることはできない。

 「阿部氏が暴力的な行為に及んだのは仕方ないとしても、それ以降の娘や児童相談所、警察の動きは……」と批判したところで、それ以降の動きは事件の端緒となった暴力的な行為以上に問題であるとは言えないので、批判としてはどうにも意味をなさないものになる。

 阿部氏は、監督を首になりたくなければ、娘に身体的圧力を加えるべきではなかったのだ。

ダブルスタンダードは排除せよ

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