明宗・李嗣源は根っからの軍人であって、文字も満足にかけない。しかし武略にすぐれた歴戦の老将である。甘苦の経験も豊富、平衡感覚にすぐれたリアリストだったから、その施政はほどなく、混乱した世情を安定させた。乱世の五代で、屈指の名君とされる。
名君
人材の鑑識・登用にもすぐれていた。文武にすぐれた臣下を集めたなか、とりわけ文に劣る自身に鑑みてか、馮道の文才と人品には惚れ込んでいたようである。
それ以前の門閥主義の貴族制では、何より家柄と容姿が重要で、この時期の官界もそんな通念はぬけきっていない。パッとしない門地・風采の馮道には、必ずしも有利ではなかった条件ながら、明宗はそんな俗習にまどわされることはなかった。
以下は欧陽脩の編纂した『五代史記(新五代史)』に載せる、そんな君・相ふたりのやりとりである。口を極めて馮道を罵った欧陽脩も、さすがにすぐれた史家だけあって、こういうエピソードを漏らすことはなかった。……