鎮州大悲寺の菩薩像は霊験あらたかなので、仏像破壊の勅命が下っても、誰も近づこうとしない。帝はこれを聞きつけ、自らその寺に出向き、鉄斧をふるって仏像の胸を砕いた。見ていた人は怖気をふるって、バチがあたるぞ、とささやきあった。案の定、帝は契丹北伐の途上、胸に腫瘍ができ、帰京するや亡くなったのである。(『仏祖統紀』卷四十二)
「鎮州」といえば、前回登場した馮道(ふうどう)ゆかりの地でもある。占拠していた開封から北帰する契丹に連行されそうになったさい、帰朝の糸口をつかんだ恒州の異称で、当時は河北の重要都市だった。
その馮道に「子供扱い」された柴栄が、引用した文章にいわゆる「帝」である。かれも鎮州・契丹に因縁があったわけで、こちらはどうも不吉なエピソードである。
古今東西、宗教の弾圧は数知れない。その本場は西方であって、なかんづくキリスト教がからむと、異端・異教の迫害、あるいは十字軍・三十年戦争、いずれも凄惨な歴史ではあった。……