皇帝がすべてを直轄する政体に移行した。そうはいっても、現実には文字どおりの直轄など、できるものではない。目・手のとどかない地方では、出先なしには収拾がつかないし、中央でも自らを補佐する機構が必要である。とても皇帝一人で抱えこめるものではなく、信頼できる身代わり・目代わりがどうしても欠かせない。
天下の私物化
そこで朱元璋は息子たちを地方に配置し、王に任命した。「諸王分封」という。とくに統轄・裁量の権限が必要なのが、モンゴルと対峙して安全保障上、最も重要な万里の長城沿いに置いた諸王であった。かつて地方の兵権を統べた中書省の代替ともいえる。
なかんづく要衝を占めたのが、「大元国」の旧都・大都あらため「北平」であり、「燕王」としてそこに駐在したのは、四男の朱棣である。器量才幹を見こまれてのことらしい。
事情は天子のお膝元・中央政府でもかわらない。ここにも中書省・宰相に代わるべき存在がいた。朱元璋の後嗣たる皇太子の朱標である。穏健温和な性格と伝えられ、酷薄冷徹な父親とは必ずしも反りが合わなかったけれど、その地位に関わる失態は犯さなかった。来たるべき即位の準備・君臨の見習いとして、首都で父帝を補佐する形になっている。……