社会

「三億円事件」特別捜査本部・平塚八兵衛が語っていた「初動捜査のミス」

2026年5月1日


<span>「三億円事件」特別捜査本部・平塚八兵衛が語っていた「初動捜査のミス」</span>
日本で最も有名な「未解決事件」(Anirut Thailand/ shutterstock.com)

日本犯罪史における最も有名な「未解決事件」といわれる「三億円事件」。1968年12月10日に発生したこの現金輸送車強奪事件は、数々の遺留品や目撃証言がありながら、捜査が難航。1975年12月10日に時効が成立となった。それより約3年前、「昭和の名刑事」と呼ばれ、この事件の捜査にも関わっていた平塚八兵衛氏(1979年死去)が「週刊新潮」に語っていたのは、捜査を巡る悔しい気持ち、そして何としてもホシをあげてやろう、という意気込みだった。

※本稿は「週刊新潮」1972年9月2日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです。

容疑者の特定に時間はかからないと見られていたが…

「時効 昭和五十年十二月十日」

 都下、府中警察署の「三億円事件特別捜査本部」には、こう大きく貼紙がしてある。すでに去る6月10日で、7年間の時効期間のちょうど半分が経過した。

 この大事件がいわゆる迷宮入りに近い状態に陥ったのは、初動捜査における不備が大きな原因である、と悔しがるのは、捜査途中から本部に参加した警視庁捜査一課の平塚八兵衛警部。帝銀事件、吉展ちゃん事件など戦後の数々の大事件を手がけた、警視庁のエースである。……

 以下、平塚警部に「幻の三億円犯人を追った三年半」を綴ってもらった。

【事件の経過】

 激しい雨の中を、一台の黒塗りのセドリックが走っていた。車内には4人の銀行員が乗り、三億円(注=正確には2億9430万7千5百円)の現金を詰めた3個のジュラルミンの箱が積んであった。昭和43(1968)年12月10日午前9時過ぎ。日本信託銀行国分寺支店から、その日支払われる東芝府中工場従業員のためのボーナスを輸送していたのである。車が、人通りの少ない府中刑務所裏の道にさしかかった時、後ろからつけて来た一台の白バイが前に回って、停止の合図をした。白ヘルメット、白マスク、黒皮ジャンパーという姿が、一見、警官ソックリだったので停止すると、白バイの若い男は、「この車にダイナマイトが仕掛けてあるという情報が入った。支店長の自宅も爆破された」といい、4人に降りるようにうながした。

 現金輸送の責任者だった中田栄治資金係長らは、その4日前(12月6日)に、支店長あてに300万円請求の脅迫状が来ていることを知っていたので、危険を感じて男のいうとおりにした。すると白バイ男は、車台の下を検索するようなふりをして発煙筒をたき、「あぶない」と叫んで4人をさらに遠ざけ、自らは運転席に乗り込んでそのまま逃走した。この間わずか3分。

 通報を受けた警視庁は、全署総動員の大捜査網を敷き、1時間後に、現場から1.5キロ離れた国分寺史跡の墓地に乗り捨てられている輸送車を発見したが、現金の箱は持ち去られていた。

“億”のつく現金の盗難はわが国では空前のことだったが、当初は、比較的早期に解決されるのではないかという予想が一般的だった。というのは、まず、犯人の遺留品が多かったことである。ニセの白バイ(盗品)をはじめ、白バイについていたトランジスタ・メガホン、赤ランプ、発煙筒など特殊な品物が大部分であり、容疑者の範囲は限定されるものと思われた。

 また、外見からはまったく普通の乗用車と変わらないセドリックを現金輸送車と知っていたこと、その車が走る特別なコース、日時を知っていたことなどから、日本信託銀行ないしは東芝工場の内部に詳しい人間に初期の捜査の目が集中された。

 あとになって、1968年4月25日以来、数回にわたって多磨農協などへ脅迫を送った犯人と同一人物と考えられるようになり、「三多摩地区の地理に詳しく、車や火薬などの技術に通じている男」がイメージに浮んでいた。ところが、ピーク時197名にも達した特別捜査本部員たちにとって、捜査は困難の連続だった。

 現金輸送車からジュラルミン箱を積みかえた濃紺のカローラが、5ヵ月も小金井の団地に置き去りにされたままだったり、別件で逮捕したKさん(当時26)がシロだったり、捜査陣の手ぬかりも目立った。

 今年7月1日には、捜査本部の専従捜査官も平塚主任以下20人に縮小され、今日に至っている。(以上、編集部)

大きなヤマでは捜査が“浮く”

 私は三億円事件発生の日、ある事件を手がけていて月島署にいました。月島で、事件の内容を聞いたわけですが、「大きなヤマだな」とまず思った。「ヤマが大きいだけに、ひょっとしたらむずかしいことになるんじゃないか」とも考えた。これは長年の刑事生活からくるカンみたいなものでして、私は大きなヤマで過去何回かニガい経験をしたからね。帝銀事件(1948年発生)、吉展ちゃん事件(1963年発生)などいずれも大きなヤマで、最後は本ボシを捕まえて解決はしたが、それまでには苦労したんですよ。

 それというのも、大きなヤマになると、捜査一課のいくつかの部屋(注=班)が出動するし、場合によっては二課とか三課もいっしょになって捜査することになる。すると捜査員一人一人の細かな打ち合わせや情報の交換がややもすると粗雑になるし、意見や主張も八方から出て、ひとつひとつの事実や証言を、手づくりみたいに念を入れて、精魂こめて洗い上げるという動作が薄れがちになる。そこへもってきて世間も騒ぐ、マスコミも競争するで、捜査そのものもどうしてもあおられて、いわゆる“浮く”んですね。これはもう、どんな冷静な頭の捜査官でも、ある程度巻き込まれて、重要なものを見逃すようなことがままある。警察の言葉でいうと、“お祭り事件”になってしまうわけです。

 三億円事件を聞いた時にも、「そうならなければいいが」という危惧の念が働いた。結果的にはその危惧のとおりになったわけですが……。

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