作り手のいない田を埋める太陽光パネル。かつての街並みが消え去った広大な更地。住民が避難先から戻らず居住者が1割近くに減った町。東京電力福島第一原発事故から15年、「復興」はどこにあるのか――。いわき市の温泉宿主人、里見喜生さん(57)がマイクロバスで案内する先々の風景だ。原発事故の後、宿泊客らを引率するスタディーツアーを始めて、現在までに参加者は全国から7000人を超えた。また、大学生一行を地元の市民や避難者たちと出会わせ、被災とは何かを「わが事」として考えてもらう取り組みも行っている。「東京からわずか200キロ余り先にある『終わらない』現実を、多くの人に知ってほしい」という里見さんのツアーに同行取材した。
田んぼを埋めつくす太陽光パネル、戻らぬ農家
「原発事故が起きると、地域というものがどうなるのか。皆さんの目と五感で体験してください」。1月末、福島県いわき市湯本温泉の老舗ホテル『古滝屋』の玄関前。午前10時過ぎ、里見さんがマイクロバスの助手席でマイクを握り、車中の大学生たちに語り掛けた。
武蔵大学(東京)の社会学部教授、奥村信幸さん(61)が学生10名を引率するスタディーツアーの出発だ。毎年ゼミ生と東日本大震災の被災地・石巻を視察しており、初めて福島の原発事故被災地ツアーを学内で募集した。「在京の大学生は東京育ちが7割。福島視察は長い間、親たちの心配で実現できず、震災、原発事故への無関心につながってきた。現実に出合い、自分はそこにどう関わっているのかを見つけてほしい」と期待していた。
常磐道を60キロ北上し、双葉郡富岡町(福島第一原発が立地する大熊町の南隣)へ。2011年3月の原発事故前は人口1万6000人で郡の行政、商業の中心だった。郊外の水田地域は17年4月に避難指示を解除されたが、大半で稲作は復活せず、里見さんが案内した農地は真っ黒な太陽光パネルで埋まっていた。「150年前から続く豊かな田んぼだった」と里見さん。農地は大規模な除染作業(放射性物質で汚染された表土の剥ぎ取り)で、代々肥やされた地力を喪失した。回復には多大な労力と年数を要するが、長い避難生活の間に担い手の高齢化が進み、農村を支えた近隣の共同体も消えた。「避難した農家の多くが二度と生業に戻らない」。……