社会

元陸上幕僚長が回想する「御巣鷹山」墜落事故現場48時間の地獄絵図

2026年5月1日


<span>元陸上幕僚長が回想する「御巣鷹山」墜落事故現場48時間の地獄絵図</span>
日本航空123便の墜落現場「御巣鷹山」

 1985(昭和60)年8月12日18時56分、乗員乗客524名を乗せた日本航空123便が、群馬県内の「御巣鷹の尾根」に墜落した。地獄のような現場に先陣を切って降り立った一人の若き空挺隊員は、後に陸自14万人のトップとなる。その壮絶なる原体験とは――。元陸上幕僚長・岡部俊哉氏が回想する。

※本稿は「週刊新潮」2020年8月13日号に掲載された特集を元に再構成したものです。また、年齢や肩書、年代表記等は当時のものです。

ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触

 1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。

 自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。

 その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。……

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