多くの識者が、習近平政権の特徴の1つとして「安全」に対する強い関心を指摘する。確かに、その通りだ。党と社会の管理を強化してきたのは、そうすることで党中央の考え通りに全体が動くようにするためだが、同時に国の内外の安全に対する強い懸念があったためでもある。
影響力を格段に強めた「国家安全部」
2012年に総書記に就任した後、13年に「国家安全委員会」の設置を決定したが、これは習近平の強い意向だったと推測できる[1]。国家の安全、とりわけ体制の安全に強い関心を持つ習近平にとり、当時の状況は惨憺たるものに見えたであろう。国家安全に関するトータルな考えもなく、党と政府の組織もバラバラであり、しかも腐敗体質は蔓延している。外からの浸透に対する備えにも、また国内の対応にも、現状は甚だ不十分だと思ったはずだ。そもそも江沢民時代から「国家安全委員会」という国家安全を統合的に見る組織の設置の必要性が指摘されたにもかかわらず、先送りされてきたところに問題があった。
これには背景がある。毛沢東時代は党中央調査部が唯一の情報機関であった。当然、政敵の打倒にも使われ、文化大革命を経て復権した多くの政治指導者が、この組織に強い反感を持った。そこでポスト文革の新たな組織として、1983年、党中央ではなく国務院の組織として国家安全部が作られた。党中央調査部を中核として、関係する部局の情報部門を統合したものだが、当然、格下げであった。
この国家安全部に対する警戒感も強く、公安部、最高法院、検察院等、情報・治安部門を束ねる党の政法委員会のトップは公安部が牛耳ってきた。国家安全部に本来の役割を果たさせるべきなのに、党指導部の否定的心理がそうさせなかったのであろう。単なる部門間の利害対立という以上に、「安全」に関する組織設置には根深い問題があったのだ。……