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Vol. 8

「死」をもって完了させた三島美学【プレイバック「週刊新潮」が報じた事件戦後史】

2026年5月1日


<span>「死」をもって完了させた三島美学【プレイバック「週刊新潮」が報じた事件戦後史】</span>
三島由紀夫氏(1964年撮影)

 世間を賑わす「大事件」について、詳しく取材を進めていくと、時に世の常識では測ることのできない、人間の「本質」が浮かび上がることがある――。1970年11月25日、民兵組織「楯の会」メンバーを率いた三島由紀夫(当時45)が、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ、東部方面総監・益田兼利陸将(当時56)を監禁。要求通りバルコニーから約1000人の隊員に決起を促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げる。社会に激震が走った「三島事件」について、関わりの深かった文芸編集者や評論家は、どのような証言を残していたのだろうか。当時の「週刊新潮」特集記事をもとに振り返る――。

※本稿は『あのスキャンダルの裏側――「週刊新潮」が報じた事件戦後史』の一部を抜粋/編集したものです。「週刊新潮」1970年12月5日号に掲載された特集が元となっており、プライバシーへの配慮から一部は匿名となっています。また、年齢や肩書は当時のものです。

「諸君は武士だろう。自分を否定する憲法をどうして守るんだ」

 われわれは、それを、見た。ひとりの作家の衝撃的な死を。自刃の三島――。

 かつて、その独自の倫理と美学に殉じたひとに、太宰治がある。あのとき、三島は、その死を承知することを、頑ななまでに、潔癖に、拒否した。女性的な生の結末として。

 それから二十余年。三島は、自ら選んで対極に立った。その“男性の死”を死んだ彼に、事件としての批判はあるにしても、やはり、彼もまたストイックな魂だったには、間違いないのである。……

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