※本稿は『あのスキャンダルの裏側――「週刊新潮」が報じた事件戦後史』の一部を抜粋/編集したものです。「週刊新潮」1974年3月21日号に掲載された特集が元となっており、プライバシーへの配慮から一部は匿名となっています。また、年齢や肩書は当時のものです。
世間の話題は「小野田さん一色」に
小野田寛郎少尉が帰国して、わが日本列島は、ふたたび“感動”のアラシに包まれた。折からの国会における「参考人喚問」はこのニュースの前にかすみ、江崎玲於奈博士のノーベル賞受賞後“初の帰国”も、小さなトピックになってしまった。
が、三十年間に及ぶこの“勇士”の戦いが、誠実であればあるほど、われわれ日本人には、ある痛みを感じさせたのも事実である。ある人は、改めて「戦争とは何か」を問い直し、ある人は「今度は、天皇は小野田さんとお会いになるだろうか」という形で――。
小野田さんが帰国する前日、日本の国会では、企業の代表者を呼んで、二度目の“参考人喚問”が行われていた。ちょうど小野田さんが、マニラでマルコス大統領を表敬訪問していたころである。が、本来なら日本国中の関心を集めたであろうこの政治劇も、“小野田さん生還”の前には、完全に色あせてしまった。新聞やテレビの扱いも、まるで小さかったし、街の話題ももっぱら“小野田さん”に傾いた。……